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ヨーロッパアルプスパノラマ紀行 二宮書店「地理月報」No.445(1998年6月)掲載
2004年8月改訂


 1997年暮れ、ヨーロッパアルプスを訪れた。主目的は、インスブルック在住の鳥瞰図画家ベラン教授に面会すること。その後は、ベラン教授の作品が生まれるもとになったヨーロッパアルプスの大景観を眺め、現地ならではの展望図・地図類の収集もしようという計画だった。ベラン教授の作品集『ベランのパノラマ』(実業之日本社1980年)を企画・編集した森田芳夫さんが切符・宿の手配から、現地案内そして“通訳”まで全部面倒を見て下さるという私にとっては“大名旅行”だった。
 情報量の多い地域であり、今更ヨーロッパアルプスでもあるまい、と思われる向きもあるだろうが、文献を含め教材研究にも使える情報を若干でも提供できると思うので、ご報告したい。

●行程概要
 12月23日成田発−−−チューリヒ−−−インスブルック(▲ノルトケッテ/ベラン教授、フィールキント氏訪問)−−−ミッテンバルト(▲カールベンデル)−−−ガルミッシュ-パルテンキルヒェン(▲ツークシュピッツェ)−−−インスブルック−−−チューリヒ−−−ベルン(国会議事堂)−−−インターラーケン−−−−ミューレン(▲アルメントフーベル、▲シルトホルン)−−−インターラーケン−−−ベルン−−−ゾロトゥルン−−−▲バイセンシュタイン−−−ゾロトゥルン−−−ルツェルン−−−チューリヒ−−1月1日成田着

●ベラン教授のこと
 ハインリッヒ・C・ベランの名前をご存知ない方も、写真かと思うような精密な、しかし、独特のリズム・躍動感のある見事な鳥瞰図の作者といえば、ああ、あの絵を描いた人かと思い出されるだろう。イメージの湧かない方は、『高等地図帳』『現代地図帳』(二宮書店)の「スイスアルプス(ベルナーアルプス)の鳥瞰図」をご覧願いたい。
 彼は1915年インスブルックに生まれ、インスブルック国立美術学校を卒業した画家で、「商業美術、イラストレーションなどの分野で才能を発揮してきた・・・。「ナショナル・ジオグラフィック」誌が掲載したパノラマは、ベランさんの名を世界的なものにした」(『チロル・パノラマ展望』新潮社)。
 白馬村や佐原市の鳥瞰図を描くために一度来日されたことがあるが、現在はもう実際に描かれることはない。体調を崩されていると聞いていたが、お酒が好きで冗談もよく言われ大変お元気だった。
 以下は、森田さんを介して尋ねた内容である。

Q.富士山をどう思われますか。
A.登っていないので分からない。
 ベラン教授は、「富士山と箱根」という作品を描かれているし、佐原市が依頼した鳥瞰図にも遠景にちょっとだけ富士山が出ているので、日本の最高峰富士山についてどんな思いがあるかを最初に尋ねてみたかったのである。この答えには思わず吹出しそうになったが、その後続けて、「聖なる山という発想は全くない。ただ、良い山ではあると思う」という答えがあり、ひと安心だった。

Q.ベラン教授の絵は躍動的な雲の表現が特徴ですが、これは実際の雲を見て描いておられるのか、イマジネーションによるものなのですか。
A.雲は動くので、描くのが難しい。しかし、雲をどう描くかによって、絵が生きもするし、死にもする。それくらい雲を描くのは大事である。
 質問に対する正面からの答えではないが、意味はよく理解できた。ただ、私が「実際の雲を見て・・・」と尋ねたのは、ノルトケッテ(後述)で実際に見た雲が、彼の絵そっくりだったからである。これだけ地形をリアルに見ておられるのだから、空についてもイマジネーションだけでなく、詳しい観察をされているだろうと思いこの質問をした。

Q.影が左の時もあるし、右の時もありますが、何か規則性があるのですか。
A.依頼者の注文による。つまり描くべきロープウェイが山の左側斜面にあるなら、そちらに日があたるように(影にならないように)する。
 彼の何百という作品は、依頼者があってできたものだから当然といえば当然だろうか。原画を見せて頂きたいと思っていたのだが、彼のアトリエにはほとんど残っていないことも納得できた。
 さらに、風景を描くコツとして、「中景を大事にしなければいけない。遠景も近景も、中景を基準にして描いていく必要がある。それと“光”。影の中にも“光”がある」ということを、メモ用紙にスケッチをしながら説明して下さった。
 野外観察で絵を描く事の大切さを授業の中でも述べており、また私自身山岳展望図を描くのを趣味としているので、得るところの多い訪問だった。

●後継者フィールキント氏
 ベラン教授の後継者のフィールキント氏のアトリエも訪ねた。インスブルック市内、イン川に近い古い建物の中にある。外観とは異なり、中は極めて新しくモダンな作りである。これは歴史の古いヨーロッパの建物に共通する特徴でもあろう。
 フィールキント氏は、ベラン教授と対照的に、コンピュータやオーディオ機器が大好きで、ホームページも開いている。
     http://www.tyrol.at/panorama/index.htm (2004年現在リンク切れ)
    PANORAMASTUDIO VIELKIND das Berann Nachfolge Panoramastudio
 この「Nachfolge」は後継者という意味で、略すとNF。ベラン教授の作品の中には、BERANNと記した後にNFがついている場合がある。それが彼の作品だが、独立してまだ4年目であり日本ではまだ目にすることは少ない。色使い、道路の表現など、ベラン教授の作品とは微妙な違いがある。
 私が代表を務めるパソコン通信上の団体「山の展望と地図のフォーラム」が作成したCD-ROM『パソコンで楽しむ山と地図』をお土産に持参し、フィールキント氏のパソコンで見ることができたのは、嬉しいことだった(「文字化け」はしたが)。

●ノルトケッテ
 インスブルックの代表的景観といえば、古い石造りの建物と背後の威圧するかのように聳えるノルトケッテ(北山脈)だろう。インスブルックの北にあるからこう呼ばれており、カールヴェンデル山脈が正式の名称である。ケーブルカー、ロープウェイを乗り継いで、接続がよければ30分足らずで2334mのハーフェレカールへ到着する。
 新雪を10分少々踏んで展望台へ。芸術品とでも言いたくなるような筋雲が浮かぶが、視界を遮るものは全くない大展望だ。北面は石灰岩のノルトケッテの岩峰が間近に迫る。南面はチロル最大のU字谷イン川の谷底平野とインスブルック市街を見下ろし、その上に、イタリアとの国境になる3000m級の結晶質岩アルプスが連なっている。
 
 そこを越える峠の一つがゲーテも通ったブレンナー峠で今は高速道路で抜けることができる。20数年前に初めてヨーロッパを訪れた時に通った所だが、今そのルートを鳥瞰すると確かに谷のどん詰りの鞍部であることが分かる。また東西に長いアルプスは、南北方向の谷が走っていることが指摘されるがそれもこの目で確認することができた。
 北面のノルトケッテの岩峰には素人目にもわかるカール地形が並ぶ。正式名称がカールヴェンデルである所以である。ところで、このカールやU字谷はどうしてできるのだろうか。氷河が削ったからに決まっていると言われそうだが、岩盤は氷河より固いはずだ。それなのに何故削れるのか。この疑問を含めて、ヨーロッパアルプスの地形について興味深く解説しているのが小野有五『アルプス・花と氷河の散歩道』(東京書籍)である。
 なお、インスブルックの市内観光には市電などを乗り放題の「インスブルックカード」が便利で、ノルトケッテへ行くロープウェイなどにも有効だ。

●ドイツ最高峰ツークシュピッツェ
 パック旅行ではないので、その時の気分で目的地を選べる良さがある。バイオリンで有名な、ドイツ南部のオーストリアとの国境の小さな町ミッテンバルトを経て、ガルミッシュ-パルテンキルヒェンに入る。ここまでくると、ドイツ最高峰に登りたい。登るといっても登山電車とロープウェイで黙っていても運んでくれる(ルートは複数ある)。しかし、生憎天気が思わしくなく目的地をミュンヘンに変更しようとしたその時に、微かに青空が覗く。急遽当初の予定通りツークシュピッツェに再変更。荷物をコインロッカーに預け、ほぼ満員の電車に駆込む。我々のような一般観光客はほとんどおらず、大半はスキーが目的だ。
 2964mの山頂は、やはり雪が舞っており、視界はゼロだったが、厳冬期のドイツ最高峰の雰囲気を味わうことはできた(と、自己満足にふけることにした)。この山頂はドイツ・オーストリアの国境にもなっている。オーストリア側の食堂で、凍てつく窓の氷模様を見ながら、熱いコーヒーを啜る。売店で「Panorama Top of Germany」という長さが140cm近い良質なパノラマ写真を購入。解説に日本語もあり、ここの人気を物語っている。

●ベルン国会議事堂からの「影アルプス」
 ベルンの国会議事堂は、いわば時間調整で立ち寄ったのだが、思いがけない光景に接する事ができた。ベルン南東約60kmのベルナーオーバーランドの山々の影が日の出前の太陽に照らされて、上空の雲に映っているのである。それはあたかも噴煙が立ち上っているかのようだった。日本でも富士山などについて、そういう光景を見る事があるようだが、私自身は初めての経験であった。「山と溪谷」4月号に写真入りで報告したが、カラーでなかったのが残念である。私のホームページに掲載しているのでご覧願えれば幸いである
 これは必見ですよ(今回掲載にあたって訂正)
 なお、撮影場所が国会議事堂構内ということも、日本と比べたら大きな驚きだ。何時でも誰でも構内に自由に立ち入る事ができるのである。付加えれば、国会議事堂前に朝市が立つというのも、世界でただ一つ、スイスだけではないだろうか。

●シルトホルン
 007の映画に登場した回転レストランのある所として有名である。『高等地図帳』等の「スイスアルプス(ベルナーアルプス)の鳥瞰図」のシルトホルン山頂にそれが描いてある。
 ここも麓のミューレンからロープウェイを乗り継いで一気に上がることができる。厳冬期に2970mの雪山に「普通の格好」で上がれるとは日本では想像もできないことだ。周囲は完全に白銀の世界。4158mのユングフラウは僅か10km先だ。ラウターブルンネンの谷を下に見てユングフラウを見上げるわけだからその迫力は凄じい。
 時刻は午後2時を過ぎていたが、空気の透明度は素晴らしく、日本のようにガスがかかってくることもない。風もないので日光浴をする若者もいるほどだ。レンズを替えフィルムを替え、立体視用、パノラマ写真用と撮影に忙しい。見るもの聞くもの全て教材にしようという地理教師らしい?“貧乏根性”から解放されたいと思うのだが、身についた習性を払拭することは容易ではなかった。

●バイセンシュタイン
 ジュラ紀の名称のもとになったジュラ山脈の南端部に位置するバイセンシュタインは、ヨーロッパアルプスを北側から一望できる大展望台である。
 ゾルトゥルンからジュラ山脈に向かう電車に乗り、数駅でオーバードルフに到着。ここからリフトで約20分、洒落たホテルが一つだけある展望台バイセンシュタイン(約1280m)に着く。
 今回も登るにつれ雲が切れて行き、理論的に望見可能な山は全て見えているという絶好の展望日和になった。南側を向くので逆光になるが、幸い残っている雲が太陽を抑えてくれる。
 ここからの全長130cmの折畳み式のパノラマ展望図(Panorama vom Weissenstein)を知人から貰ったのはもう四半世紀前になる。極めて詳細な山名注記が入っており、いかにもスイスらしい精緻なものであった。
 ホテル前にはその原画を使い、何倍にも拡大した展望板がある。ここからはアルプスまでの距離がちょっと遠いので山は小さく見える(例えば良く目立つユングフラウも80数km離れている)。 従って展望図が詳しく書いてあるが故に、実景との同定が難しいという贅沢な悩みがあるほどだ。
 ホテルのレストランでワインを傾けながらヨーロッパアルプスの全貌を眺めるという至福の一時。
 主要観光ルートからは横道にそれるので訪れる日本人は少なく、ガイドブックにも記載されていないようだが、超お薦めの展望ポイントである。

●電車での移動
 都市間の移動は基本的に電車を利用した。ユーロパスを使ったので、切符購入の手間はいらず、かつ一等車を利用でき、極めて快適であった。特急列車、普通列車とも空いており、経営が成り立つのか心配になるほどであった。車両によって異なるが、いずれも窓が大きく、車窓展望にはもってこいの構造である。
 一つだけ意外だったのはトイレ。水洗ではあるが、日本では懐かしい「ポットン式」なのである。インターラーケンウェスト駅では、線路上に散乱する白い紙を見て、思わずカメラを向けてしまったほどである。日本のように民家が線路に接していないので「黄害」の心配はないのだろうが、環境への配慮が進んでいるヨーロッパらしからぬ光景だった。なお、「鉄道ピクトリアル」1998年2月号が「列車のトイレ」を特集している。

●古書店と展望図
 スイス滞在の最初と最後に宿泊したチューリヒのホテルのすぐ傍に古書店があった。大学の傍に古書店街があるのはどこも同じである。ここで念願のベデカーの『スイス』を入手(英語版1913年)。銅版画による詳細な展望図が多数折り込まれていることで有名なガイドブックだ。版により違いがあるので、各版を求めるマニアもいるが、私にはとてもそこまでの余裕がない。森田さんが店主に
他にパノラマ的な展望図がないかと尋ねたところ、奥から地域毎に区分したファイルをごっそり持ってきてくれた。さすがに本場、あるところにはあるものだ。見て行く内に眩暈がする程であった。
 こういう古書店でもクレジットカードが通用する。時代遅れと思われるかもしれないが、私は国内ではやむを得ない場合以外はカードを使っていない。しかし、海外旅行ではその便利さを実感した。あれもこれも買いたいという衝動を覚えたが、家族の顔が思い浮かび、辛うじて踏みとどまった。

●言葉の重要性
 今更言うまでもないことだが、現地での言葉が使えるとコミュニケーションは何倍にも増す。日本人が英語を使うのは今どき珍しくはないが、ドイツ語を不自由なく、となるとやはり目立つようだ。同行(引率)の森田さんは、英独語ともに堪能であるため、どこでも注目されていた。私は話の内容は理解できないが、雰囲気で森田さんのドイツ語のことが話題になっているなということは分かる。後で尋ねるとその通りで、東京で学んだのに、何年ドイツに留学していたのかとか、ベルリンで習ったのか、など毎度のように聞かれていた。
 英語すらままならない私にとっては、夢のような話だが、これからの時代を担う生徒たちには、言葉の壁を克服できる積極性を期待したい。

●パノラマ写真
     ノルトケッテ
ルツェルン

●表紙へ